はじめに
みしゃぐち信仰の起源を探る 縄文時代から続く祈りなのか?
諏訪信仰の中でも、特に謎に包まれているのが、「みしゃぐじ信仰」です。
諏訪大社上社前宮、本宮で行われる祭祀や民間伝承の中に登場する「御左口神(みしゃぐじ)」は、石棒や石神、あるいは境界を司る精霊として語られてきました。しかし、その正体は古代史研究においても、未だ明確に解き明かされていません。中でも議論を呼ぶのが、「みしゃぐじ信仰、みしゃぐじ神とは何か?みしゃぐじ信仰は縄文時代まで遡るのか?」など、その他にも様々な問題が存在しますが、まず、この問題を考えて見たいと思います。
縄文時代の遺跡からは、石棒や香炉型土器、有孔鍔付土器、顔面把手付土器、そしてこれらの土器には、蛇や蛙の文様をもつ土器など、祭祀を示す多くの出土品が見つかっています。これらは、「生命の再生」や「豊穣」を願う祈りの痕跡と考えられていますが、果たしてそれが直接、みしゃぐじ信仰に繋がるのでしょうか?
現代の研究者の中には、みしゃぐじ信仰を縄文祭祀の延長と捉える立場もあれば、古代国家成立後に形成された新たな神観念とする立場もあります。例えば、諏訪信仰研究の第一人者である藤森栄一氏は、みしゃぐじ信仰を諏訪大社前宮に伝わる鉄鐸の研究から迫り、みしゃぐじ神を生殖、生命力信仰に根ざした神霊として位置づけ、諏訪地方に残る石棒文化や蛇信仰との関連を重視しました。一方で、他の研究者では文献資料をもとに、みしゃぐじ信仰を中世以降に整えられた祭祀体系であるとみなす見解を示しています。
私自身も、岡谷美術博物館、尖石縄文考古館、諏訪市博物館、釈迦堂遺跡博物館を訪れて実際の遺物を目の前にしたり、また各地のみしゃぐじ社と言われる神社(祠)を探し求め、様々な文献を読み進めるうちに、「みしゃぐじ信仰は、本当に縄文時代から続くのか?」という疑問を深く抱くようになりました。
私のブログでは考古学、民俗学、歴史学の視点を交えながら、みしゃぐじ信仰の謎に迫りたいと思います。結論が、どの様なものになるのか、今の時点では全くわかりません。
適時、ブログの内容や解釈の変更、間違いの修正がありますのでよろしくお願いいたします。
諏訪地方に古代から受け継がれてきた古代の人々の祈りの形を探り、その背後にある世界観を少しずつ紐解いて行きたいと思います。
よろしくお願いします。
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